同情してはならない?

ひとりひとりの不安、それはどこから来ているのでしょう。
ひとりひとりがその出所は違います。

だからこそ、個々の患者に合った治療法が必要であり、
生き方に寄り添う存在が必要です。

死の床に伏した人に対するむかいかたが、
『臨床』の概念に示されています。

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【臨床概念】

何もできないこと、そばにいること、
その人がその人の生を全うすることを

邪魔せずに、でも安心感をあたえつつ、
見守ること、ともにいること。

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【臨床家の責任】について

どのような状態にあっても成長しようとする声を
発している。
その声を聞き分け、反応することができること。

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【共感】

この人に何が起こったのか、
この人がどのような思いでこれまで生きてきたのか、
こういった気持ちをくみとり理解してくれる存在があるとします。

過去の不安の積み重ねを、すこしずつ良いうけとりかたや
考え方に向かっていくように、『共に感じよう』と
尊厳を持ち併走するということです。

このような共感をもち、たとえば治療者が
生きているひとつの存在であると気持ちに寄り添ってくれるとき、

どれだけ時間がかかっても良いので、あきらめることなく、
自分自身とむきあおうという気持ちがよみがえってきます。

そうして、自ら命を絶つことなく、死をむかえるその日まで、
生き抜いてみよう、そんな風に、思えることもあるかもしれません。

そのとき、必要なのは、心のほうの栄養です。

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こころの不安を目に見える形に例えてみると、
たとえば、それは、子どもが成長していく際の食べものの好き嫌い。

このとき、どの母親でも、あの手この手を変えて、
こどもが苦手なものを
克服できるように努力していきます。

これは自然な努力です。

そのときに、こどもの心によりそい、
どうしたら良いのかを、お母さんは見返りを求めず
こどもに寄り添います。

このときの気持ちは、決して『同情』ではないありません。

食べものとともに残る食卓の記憶、

良いこともわるいことも、
アルバムをめくるように思い出すと、
積み重ねてきたかけがえのない時間の記憶です。

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